「ちがう 文化(ぶんか)が わかる=異文化理解(いぶんか りかい)」とは どんなことですか?
このごろ、 外国(がいこく)から 日本(にほん)に 来(き)た人(ひと)たちと いっしょに 生活(せいかつ)することが ふえました。 たいせつに することや すきなことが ちがう人(ひと)と 生活(せいかつ)することも ふえました。 だから 「ちがう 文化(ぶんか)が わかること」が たいせつに なってきました。
しかし、 「ちがう 文化(ぶんか)が わかるとは どんな ことですか?」 「なぜ それが 必要(ひつよう)ですか?」と 思(おも)う人(ひと)も いるでしょう。
ここでは、 「ちがう 文化(ぶんか)が わかること=異文化理解(いぶんか りかい)とは どんな ことですか?」「それは なぜ 必要(ひつよう)ですか?」「どんな やり方(かた)が ありますか?」「わたしは どんな ことが できますか?」を わかりやすく せつめいします。
目次
「ちがう 文化(ぶんか)が わかる=異文化理解(いぶんか りかい)」とは?
「生(う)まれたり 大(おお)きくなったりした 国(くに)や 場所(ばしょ)」「たいせつにする 神様(かみさま)」「つかう ことば」「たいせつに している こと」などが 自分(じぶん)と ちがう 人(ひと)たちの ことを しって、 その人(ひと)や その文化(ぶんか)を たいせつにすることが 「ちがう 文化(ぶんか)が わかること=異文化理解(いぶんか りかい)」です。
このごろ、 自分(じぶん)が 住(す)む 場所(ばしょ)や 学校(がっこう)、 はたらく 場所(ばしょ)などで、 「外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)たち」や 「自分(じぶん)と ちがう 文化(ぶんか)を もつ 人(ひと)たち」と いっしょに なにかを することが ふえました。 その(とき) 自分(じぶん)と ちがう 文化(ぶんか)が わかると、 みんな 安心(あんしん)することが できます。
いろいろな ちがう 文化(ぶんか)を 自分(じぶん)で たくさん 勉強(べんきょう)しますか? いいえ それは 必要(ひつよう)ありません。 でも しりたい きもちが 必要(ひつよう)です。 「その人(ひと)の もっている ちがう 文化(ぶんか)を しりたいです。」と 思(おも)う 自分(じぶん)の きもちから 「ちがう 文化(ぶんか)が わかること=異文化理解(いぶんか りかい)」が はじまります。
「みんな おなじに なること」では ありません
異文化理解(いぶんか りかい)は、 みんなが おなじように かんがえることでは ありません。 みんなが おなじものを たいせつに 思(おも)う ことでも ありません。 ひとりひとり 文化(ぶんか)や 習慣(しゅうかん)が ちがうのは ふつうのことです。 ちがっていて いいのです。 「どんな ことが ちがいますか?」「あなたの 文化(ぶんか)や 習慣(しゅうかん)が しりたいです。」という きもちが たいせつです。
たとえば、 国(くに)や 住(す)んでいる場所(ばしょ)が ちがうと、「食(た)べる時(とき)の やり方(かた)」や 「あいさつ・会話(かいわ)の やり方(かた)」、 「神様(かみさま)に いのる時(とき)の やり方(かた)」は ちがいます。 それは 自分(じぶん)が ふつうだと 思(おも)うことと ちがうかもしれません。 「わたしとおなじ やり方(かた)を しなさい」と 言(い)わないでください。 「ちがう やり方(かた)も ある」としって それを たいせつにします。 すると 「だれもが たいせつに される 人(ひと)と 人(ひと)の 関係(かんけい)」を つくることができます。
なぜ 異文化理解(いぶんか りかい)は 必要(ひつよう)ですか?
このごろ、 外国(がいこく)から 日本(にほん)に 来(く)る人(ひと)たちが ふえています。 住(す)んでいる ところや 学校(がっこう)、 はたらく 場所(ばしょ)などで かれらの いろいろな 文化(ぶんか)を 見(み)ることも ふえました。 異文化理解(いぶんか りかい)〔=その人(ひと)の 文化(ぶんか)や たいせつにしていることが わかること〕が 進(すす)むと、 みんなが 安心(あんしん)して 生活できる 社会(しゃかい)に なります。
「なぜ 異文化理解(いぶんか りかい)は 必要(ひつよう)ですか?」という しつもんに こたえます。
多文化共生(たぶんか きょうせい)のために 必要(ひつよう)だから
いまは グローバル化(か)〔=国(くに)と 国(くに)との 関係(かんけい)が つよくなって 世界(せかい)の 国(くに)が もっと ちかくなること〕が 進(すす)みました。 そして 日本(にほん)も いろいろな 国(くに)から 来(き)た人(ひと)たちと いっしょに 生活(せいかつ)する 時代(じだい)に なっています。 日本(にほん)に 住(す)むために 来(き)た人(ひと)、 日本(にほん)に はたらきに 来(き)た人(ひと)、 日本(にほん)に 旅行(りょこう)に 来(き)た人(ひと)など、 いろいろな 人(ひと)たちとの 関係(かんけい)が ふえています。
だから、 異文化理解(いぶんか りかい)は 「多文化共生(たぶんか きょうせい)」を進(すす)めるために 必要(ひつよう)です。「自分(じぶん)と ちがう人(ひと)の 文化(ぶんか)や 生活(せいかつ)を しりたい」と思(おも)う きもちは、 安心(あんしん)して いっしょに 生活(せいかつ)できる 社会(しゃかい)を つくります。
多文化共生(たぶんか きょうせい)が とても たいせつであることは 次(つぎ)の ところで ていねいに せつめいしています。
多文化共生(たぶんかきょうせい)はなぜ必要(ひつよう)?日本(にほん)の現状(げんじょう)から見(み)る多文化共生(たぶんかきょうせい)が地域(ちいき)にもたらすメリット
「あまり しらないから」「思(おも)っている 意味(いみ)が まちがっているから」関係(かんけい)が わるくなることを へらす
「その人(ひと)の 文化(ぶんか)や たいせつなことが 自分(じぶん)と ちがう」ことを しらないと どうなりますか? 「なぜ そんなことを 言(い)いますか?」「どうして そんなことを しますか?」 わからないから 意味(いみ)を まちがいます。 けんかに なるかも しれません。 よい 関係(かんけい)が つくれません。 でも、 異文化理解(いぶんか りかい)が 進(すす)むと 「ちがっていて いいです」「ちがうのは ふつうです」と 思(おも)うことができます。 ちがう人(ひと)たちと よい 関係(かんけい)が つくれます。
たとえば、 その人(ひと)の 「生活(せいかつ)の 習慣(しゅうかん)」、 その人(ひと)が 「大切(たいせつ)に している 神様(かみさま)」などを よく しると、意味(いみ)を まちがって、 関係(かんけい)が わるくなることが すくなくなります。 だれでも 安心(あんしん)して 住(す)む ところ、 安心(あんしん)して はたらく 場所(ばしょ)が つくれます。 だから 異文化理解(いぶんか りかい)は とても たいせつです。
異文化理解(いぶんか りかい)を もっと 進(すす)めるために できること

異文化理解(いぶんか りかい)は、 特別(とくべつ)な 勉強(べんきょう)が 必要(ひつよう)ですか? 自分(じぶん)が 外国(がいこく)に 行(い)って、 いろいろな けいけんを しますか? いいえ それは 必要(ひつよう)ありません。 はじめに 自分(じぶん)と ちがう かんがえ方(かた)や 習慣(しゅうかん)が あることを しりましょう。 「どんな ちがいですか? なぜ そうしますか? よく しりたいです。」と思(おも)うことが たいせつです。
異文化理解(いぶんか りかい)を もっと 進(すす)めるために こんなことが できます。
- 「食(た)べる 文化(ぶんか)」が ちがうことを わかる
- 「人(ひと)と 人(ひと)との 関係(かんけい)の つくり方(かた)」が ちがうことを わかる
- 「どのように はたらくか」について かんがえ方(かた)が ちがうことを わかる
- 「学校(がっこう)の 文化(ぶんか)」が ちがうことを わかる
- 「どんな 神様(かみさま)を たいせつに しているか」「みんなが いっしょに あつまって どんなことを しているか」が ちがうことを わかる
はじめに 異文化理解(いぶんか りかい)の いちばん たいせつな かんがえ方(かた)を せつめいします。
はじめに「ちがうことは ふつうのこと」と かんがえる
異文化理解(いぶんか りかい)を 進(すす)めるために 「自分(じぶんと ちがっているのが ふつうだ)と かんがえることが たいせつです。
わたしたちは いつも 自分(じぶん)の 文化(ぶんか)や 習慣(しゅうかん)を 「ふつうのこと」だと 思(おも)っています。 しかし、「自分(じぶん)の ふつう」は 住(す)んでいる 場所(ばしょ)や 国(くに)が 変(か)わると、 ふつうではありません。 たとえば 時間(じかん)の つかい方(かた)や あいさつの やり方(かた)、 しょくじの とり方(かた)などは、 文化(ぶんか)が ちがうと 変(か)わります。
自分(じぶん)の やり方(かた)だけが 「正(ただ)しいです」「たいせつです」と 思(おも)わないでください。 ちがう 文化(ぶんか)の やり方(かた)を 「それは へんです」「そのやり方(かた)は まちがいです」と きめないで ください。 「なぜ そのように しますか?」「どうして そう かんがますか?」と 思(おも)う きもちから 異文化理解(いぶんか りかい)は はじまります。
外国(がいこく)の 文化(ぶんか)を けいけんする
外国(がいこく)の 文化(ぶんか)を けいけんすると 異文化理解(いぶんか りかい)は 進(すす)みます。
たとえば、 外国(がいこく)の 映画(えいが)や 音楽(おんがく)、 料理(りょうり)、 ニュースなどを 見(み)たり 聞(き)いたり したりしましょう。 いろいろな 国(くに)の 人(ひと)たちが たいせつに していることや 生活(せいかつ)の 習慣(しゅうかん)を しることができます。 その国(くに)に 行く 必要(ひつよう)は ありません。 日本(にほん)に いて、 毎日(まいにち)の 生活(せいかつ)の 中(なか)で たくさん けいけんできます。
自分(じぶん)の ふつうと ちがう ほかの 文化(ぶんか)を けいけんしましょう。 すると、「自分(じぶん)の ふつう」と 「世界(せかい)の ふつう」は ちがうと わかります。 そして もっと たくさんの ことを けいけんすることも できます。
ちがう 文化(ぶんか)を もつ 人(ひと)の 話(はなし)を 聞(き)く
自分(じぶん)の かんがえ方(かた)だけで 「よい」「わるい」を きめないで ください。 ちがう 文化(ぶんか)を もつ 人(ひと)の 話(はなし)を よく 聞(き)きましょう。 それが 異文化理解(いぶんか りかい)で たいせつです。
「どんな 文化(ぶんか)を もっているか」「どんな 場所(ばしょ)で 大(おお)きくなったか」が ちがうと、 かんがえ方(かた)も ちがいます。 「なぜ そのように かんがえますか?」「どのような 文化(ぶんか)を もっていますか?」が わかると、 その人(ひと)のことが もっと よく わかります。
はじめから 「よい」「わるい」と きめないで ください。 はじめから 「へんだ」「まちがっている」と 思(おも)わないで ください。 その人(ひと)の 話(はなし)を ゆっくり よく 聞(き)きましょう。 その人(ひと)と よい 関係(かんけい)を つくることが できます。
わからないことを たずねる
ちがう 文化(ぶんか)を けいけんする時(とき)、「わかりません」「なぜですか?」と思(おも)うことは ふつうです。 だから ちがう 文化(ぶんか)を もっている人(ひと)に たずねます。 その人(ひと)や その人(ひと)の 文化(ぶんか)を たいせつに 思(おも)う きもちで 聞(き)きましょう。 きっと わからないことが わかるでしょう。
たとえば、 文化(ぶんか)や 神様(かみさま)についての 習慣(しゅうかん)を「教(おし)えてください」と おねがいしましょう。 その(ひと)と よい 関係(かんけい)が つくれるでしょう。 しらないことは はずかしくないです。 「わたしは しりたいです。」と 思(おも)うことが 異文化理解(いぶんか りかい)に たいせつです。
自分(じぶん)の 文化(ぶんか)を せつめい できるようにする
異文化理解(いぶんか りかい)は、 ほかの 人(ひと)の 文化(ぶんか)が わかることです。 しかし 自分(じぶん)の 文化(ぶんか)や たいせつに していることを ゆっくりと よく かんがえることも できます。
たとえば、 「日本(にほん)で みんなが あつまって やっていること」や 「日本(にほん)の 食(た)べる 文化(ぶんか)」、「自分(じぶん)が 住(す)んでいる 場所(ばしょ)の 習慣(しゅうかん)」を ほかの 国(くに)の 人(ひと)に せつめいしてみましょう。 「日本(にほん)の 文化(ぶんか)を もっと よく しりたい」と 思(おも)うでしょう。 いままで しらなかったことが わかるかもしれません。 りょうほうの 文化(ぶんか)を 教(おし)えあうと、 もっと よく わかりあうことが できます。 もっと よい 関係(かんけい)が できます。
自分(じぶん)の 文化(ぶんか)を ほかの人(ひと)に 伝(つた)えることも、 異文化理解(いぶんか りかい)を 進(すす)める たいせつな やり方(かた)です。
異文化理解(いぶんか りかい)は たとえば どんなことを しますか?
「自分(じぶん)が 住(す)む 場所(ばしょ)で 生活(せいかつ)している 外国人(がいこくじん)と いっしょに 何(なに)かを する」 「学校(がっこう)や はたらく 場所(ばしょ)で いっしょに 話(はなし)をする」など、 自分(じぶん)の 文化(ぶんか)と ちがう 文化(ぶんか)を 経験(けいけん)することは ふえています。 「ちがうのは こまります。」と 思(おも)わないで ください。 「あたらしい 文化(ぶんか)を しることができて うれしいです。」と 思(おも)ってみましょう。 ちがう 文化(ぶんか)を もつ 人(ひと)たちと よい 関係(かんけい)が つくれるでしょう。
ここでは、 たとえば どんなことが できるか 紹介(しょうかい)します。
「食(た)べる 文化(ぶんか)」が ちがうことを わかる
「食(た)べる 文化(ぶんか)」は 異文化理解(いぶんか りかい)が とても 経験(けいけん)しやすいです。
国(くに)や 神様(かみさま)が たいせつだと 教(おし)えることが ちがうと、 「食(た)べては いけないもの」「食(た)べ方(かた)」「食(た)べる 時間(じかん)」などが ちがいます。 たとえば、 たいせつにしている 神様(かみさま)が 「食(た)べては いけません」と 教(おし)えているもを 食(た)べない 人(ひと)たちが います。 わたしたちが それを しらないと、 その人(ひと)たちは こまります。
しかし、背景を理解することで、相手への配慮ができるようになります。食文化の違いを知しかし、 「かれらは これを 食(た)べない」ことを わかっていたら、 こまることはありません。 「食(た)べる 文化(ぶんか)」が ちがうと しることは たいせつです。 「人(ひと)は たいせつに することが ひとりひとり ちがう」とわかるために 必要(ひつよう)だからです。ることは、多様な価値観を尊重する第一歩です。
「人(ひと)と 人(ひと)との 関係(かんけい)の つくり方(かた)」が ちがうことを わかる
話(はな)したり 聞(き)いたりして 人(ひと)は 人(ひと)と 関係(かんけい)をつくります。 文化(ぶんか)が ちがうと その やり方(かた)も 変(か)わります。 たとえば、 日本(にほん)では 自分(じぶん)の きもちや かんがえたことを はっきり 言(い)わないことが あります。 外国(がいこく)には 自分(じぶん)の きもちや かんがえたことを はっきり 伝(つた)える 文化(ぶんか)が あります。 また、話(はな)している人(ひと)の 目(め)を 「見(み)る」「見(み)ない」が ちがう ことも あります。 手(て)や ゆびの 動(うご)き方(かた)が おなじでも、 意味(いみ)が ちがうことも あります。
これを しらないと どうなりますか? 「あの人(ひと)は わたしに やさしくない」「わたしの ことを わるく 思(おも)っている」と 意味(いみ)を まちがえるかもしれません。 文化(ぶんか)が ちがうことを しっていると、 人(ひと)と 人(ひと)との 関係(かんけい)を うまく つくることが できます。
「どのように はたらくか」について かんがえ方(かた)が ちがうことを わかる
国(くに)や 文化(ぶんか)が ちがうと、「どのように はたらくか」についての かんがえ方(かた)は とても ちがいます。 たとえば、 日本(にほん)では「みんなで いっしょに 力(ちから)を 集(あつ)めて はたらくこと」や「みんなが おなじことを かんがえて はたらくこと」を たいせつすることが おおいです。 しかし 外国(がいこく)では、「ひとりひとりが かんがえたこと」や 「ひとりひとりが うまく やること」を たいせつにする 文化(ぶんか)も あります。 また、「仕事(しごと)の 時間(じかん)と 自分(じぶん)の 生活(せいかつ)の 時間(じかん)は どちらが たいせつか?」について かんがえ方(かた)が ちがうことも あります。
これを しらないと どうなりますか? 「自分(じぶん)は たいせつに されていない」「あの人(ひと)は がんばって はたらく きもちが ない」と まちがえて 思(おも)うことも あります。 「どんな はたらき方(かた)が したいか」「どんな はたらき方(かた)を してほしいか」について みんなが よく しることが たいせつです。 かんがえ方(かた)が ちがうことが わかれば、 はたらきやすい よい 仕事(しごと)の 場所(ばしょ)が つくれます。
「学校(がっこう)の 文化(ぶんか)」が ちがうことを わかる
国(くに)や 住(す)んでいる 場所(ばしょ)が ちがうと、 学校(がっこう)の 生活(せいかつ)も かわります。 たとえば、「じゅぎょうの 時(とき)に、 自分(じぶん)が かんがえたことを どんな やり方(かた)で 伝(つた)えるか」「先生(せんせい)に どんな 話(はな)し方(かた)を するか」「みんなが いっしょに あつまってやる いろいろな ことを どんな やり方(かた)で やるか」などは みんな ちがいます。 日本(にほん)では みんな いっしょに おなじことを することが たいせつです。 しかし 「わたしは こんな やり方(かた)を します」と みんなに はっきり 伝(つた)えることを いちばん たいせつにする 国(くに)も あります。
このように ちがうことを 学校(がっこう)の みんなが わかると、 外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)たちや その 子(こ)どもたちも、 安心(あんしん)して 学校(がっこう)に 来(く)ることが できます。 そして いろいろ ちがっているのが ふつうのことに なっていきます。
「どんな 神様(かみさま)を たいせつに しているか」「みんなが いっしょに あつまって どんなことを しているか」が ちがうことが わかる
「たいせつに している 神様(かみさま)」や「みんなが いっしょに あつまって すること」は ちがいます。 それを しることも、 異文化理解(いぶんか りかい)で たいせつです。
世界(せかい)には いろいろな 神様(かみさま)が います。 そして その神様(かみさま)が 教(おし)えていることや 何(なに)を たいせつにするかが ちがいます。 たとえば、 「自分(じぶん)の 神様(かみさま)に いのる 時間(じかん)を とても たいせつにする」 人(ひと)たちが います。 「きまった 日(ひ)や 時間(じかん)に 何(なに)も 食(た)べない」 という 文化(ぶんか)も あります。 また、 国(くに)が ちがうと、「どんな 時(とき)に みんなが いっしょに あつまって うれしいことを いわうか」や 「はたらかない日に 何(なに)を するか」も ちがいます。
ちがうことを しると、 その人(ひと)が なぜ そうしているか、 なぜ それが たいせつかが わかります。 そして だれでも 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)できるように かわっていきます。
異文化理解(いぶんか りかい)が 進(すす)むと なにが かわりますか?

異文化理解(いぶんか りかい)が 進(すす)むと、 わたしたちの 生活(せいかつ)や社会(しゃかい)は よくなって いきます。
- 人(ひと)と 人(ひと)との 関係(かんけい)が よくなる
- もっと たくさんの ことが わかるようになる
- あたらしいことを 見(み)つけたり かんがえたり できる
- しらなくて 意味(いみ)を まちがうことが すくなくなる
- いろいろな やり方(かた)が あるのが ふつうになる
異文化理解(いぶんか りかい)の かんがえ方(かた)や やり方(かた)は 「外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)たちと 日本人(にほんじん)」の よい 関係(かんけい)を つくるために たいせつです。 しかし、「日本人(にほんじん)と 日本人(にほんじん)」の 関係(かんけい)も よくします。
人(ひと)と 人(ひと)との 関係(かんけい)が よくなる
異文化理解(いぶんか りかい)が 進(すす)むと、 自分(じぶん)の やり方(かた)と ちがうことも ふつうに なります。 そして 人(ひと)と 人(ひと)との 関係(かんけい)が よくなっていきます。
「おなじ ことば」や「おなじ やり方(かた)」でも、 文化(ぶんか)や たいせつなことが ちがう人(ひと)に 意味(いみ)が ちがって 伝(つた)わることが あります。 はじめに 「その人(ひと)は なぜ そう 言(い)いましたか?」「その人(ひと)は どうして そんなことを しますか?」と かんがえましょう。 わからなかったら ききましょう。 その人(ひと)のことを よく しると、 意味(いみ)を まちがうことは へります。 また、「ちがっても だいじょうぶ」という 安心(あんしん)の きもちを もちましょう。 すると 人(ひと)と 人(ひと)とが 話(はな)しやすくなります。 そして よい 関係(かんけい)が つくりやすくなります。
もっと たくさんの ことが わかるようになる
異文化理解(いぶんか りかい)を 進(すす)めると、 自分(じぶん)と ちがう かんがえ方(かた)を しります。 自分(じぶん)と ちがうものを たいせつにしている人(ひと)に あいます。 そして 「見方(みかた)や かんがえ方(かた)は いろいろある」と わかるようになります。
これまで 自分(じぶん)が 「ふつうの ことだ」と 思(おも)っていた 習慣(しゅうかん)や かんがえ方(かた)を もう一度(いちど) かんがえることが できます。 それは、 自分(じぶん)の 心(こころ)を 大(おお)きく します。 たとえば、 外国(がいこく)の 生活(せいかつ)の 習慣(しゅうかん)や かんがえ方(かた)を はじめて しります。 そして 自分(じぶん)の いままでの 生活(せいかつ)の 習慣(しゅうかん)や かんがえ方(かた)について かんがえます。「わたしは なぜ これを するの?」「これが なぜ わたしに たいせつなの?」と ゆっくり かんがえてみましょう。 すると、 あたらしいことを 見(み)つけたり、 あたらしいことが わかったり するかもしれません。 自分(じぶん)と ちがう 文化(ぶんか)を しる 経験(けいけん)は かんがえ方(かた)を やわらかくします。 いままで しらなかったことが もっと たくさん わかるようになります。
あたらしいことを 見(み)つけたり かんがえたり できる
「いろいろな 文化(ぶんか)を もっている人(ひと)たち」や、「たいせつにしていることが ちがう 人(ひと)たち」が いっしょに あつまると、 あたらしい ことや あたらしい かんがえ方(かた)が 見(み)つかります。 ちがう かんがえ方(かた)が いっしょになると、 いままで わからなかったことが わかることも あります。
たとえば、 はたらいている 場所(ばしょ)や 住(す)んでいる ところで、 いろいろな 人(ひと)たちの ちがう かんがえ方(かた)を あわせると、 あたらしい もっと よい やり方(かた)が できるかもしれません。 異文化理解(いぶんか りかい)は、 人(ひと)と ちがうことが わかるだけでなく、 あたらしい もっと よいことを 見(み)つけたり つくったりすることも できます。
しらなくて 意味(いみ)を まちがうことが すくなくなる
異文化理解(いぶんか りかい)が 進(すす)むと、 自分(じぶん)が 「しらなくて 意味(いみ)を まちがっていた」と わかることも おおくなります。
しらないと 心配(しんぱい)な きもちに なります。 しらないから 意味(いみ)を まちがって 思(おも)っていることも あります。 しかし、 文化(ぶんか)や かんがえ方(かた)を 正(ただ)しく しったら、「自分(じぶん)が 思(おも)っていたことは ちょっと まちがっていた」と わかることも あります。
人(ひと)と 人(ひと)とが いっしょに 何(なに)かを すると、 その人(ひと)のことが よく わかります。 ひとりひとりの ことを たいせつに 思(おも)うことが できます。 すると、 しらないから 「まちがって 思(おも)っていること」や、「いやだ」「きらいだ」と思(おも)う きもちを へらすことが できます。
いろいろな やり方(かた)が あるのが ふつうになる
異文化理解(いぶんか りかい)が 進(すす)むと、 自分(じぶん)と ちがう やり方(かた)や 生(い)き方(かた)が 「ふつうの ことだ」と 思(おも)うように なります。
世界(せかい)には たくさんの いろいろな 文化(ぶんか)や かんがえ方(かた)が あります。 「これが 正(ただ)しい」という こたえは ひとつでは ありません。 それが わかると、 「ちがうのは ふつうの ことだ」と 思(おも)うことが できます。 だれの 文化(ぶんか)も かんがえ方(かた)も たいせつにしよう という きもちが 生(う)まれます。
多様性〔たようせい=「ちがっていて いいです」「ちがっていることを たいせつにします。」という かんがえ方(かた)〕を たいせつにする 社会(しゃかい)では、 だれでも 安心(あんしん)して 自分(じぶん)の やり方(かた)で 生活(せいかつ)することが できます。 異文化理解(いぶんか りかい)は、 自分(じぶん)の 住(す)んでいる 場所(ばしょ)や 社会(しゃかい)を、 もっと 生活(せいかつ)しやすい よいものに していく 力(ちから)に なります。
「多様性(たようせい)は どんな ことですか?」については、 次(つぎ)の ところを見(み)てください。
異文化理解(いぶんか りかい)から 多文化共生(たぶんか きょうせい)を はじめましょう
異文化理解(いぶんか りかい)を 進(すす)める時(とき)に、 特別(とくべつ)な 勉強(べんきょう)は いりません。 外国(がいこく)に 行(い)った 経験(けいけん)も 必要(ひつよう)ありません。 毎日(まいにち)の 生活(せいかつ)の 中(なか)で すこしずつ はじめることが できます。 自分(じぶん)と ちがう ところを しって、 それを 「わかりたいと 思(おも)う きもち」 から はじまります。
自分(じぶん)が 住(す)んでいる 場所(ばしょ)で いろいろな 文化(ぶんか)や かんがえ方(かた)を もった人(ひと)たちと あいましょう。 そして いっしょに 何(なに)かを やってみましょう。 あたらしいことが 見(み)つかります。 あたらしい 関係(かんけい)が 生(う)まれます。 だれでも 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)できる 場所(ばしょ)を つくるために、 自分(じぶん)が 生活(せいかつ)しているところで 異文化理解(いぶんか りかい)を はじめて みましょう。
異文化理解(いぶんか りかい)の ほかに、 多文化共生(たぶんか きょうせい)のために できることは たくさんあります。 次(つぎ)を 見(み)てください。
多文化共生(たぶんかきょうせい)のために 自分(じぶん)に できることを 知(し)りたい!
京丹波町国際交流協会(きょうたんばちょう こくさいこうりゅう きょうかい)は 京丹波町(きょうたんばちょう)の 多文化共生(たぶんか きょうせい)を てつだっています

京丹波町(きょうたんばちょう)では、 住(す)んでいる 全部(ぜんぶ)の 人(ひと)の 2.5%くらいが 外国人(がいこくじん)です。
ベトナムから 来(き)た人(ひと)たちが いちばん おおいです。 つぎに インドネシアから 来(き)た人(ひと)たちが おおいです。 3ばんめは 韓国(かんこく)から 来(き)た人(ひと)たちです。
京丹波町国際交流協会(きょうたんばちょう こくさいこうりゅう きょうかい)は、 京丹波町(きょうたんばちょう)で 生活(せいかつ)している 外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)たちと 日本人(にほんじん)が 安心(あんしん)して よい 関係(かんけい)を つくれるように、 多文化共生(たぶんか きょうせい)を いろいろな やり方(かた)で 進(すす)めています。
みんなで 集(あつ)まって たのしむ 会(かい)を したり、 日本語(にほんご)の 勉強(べんきょう)を てつだったり、 災害(さいがい)の 勉強(べんきょう)をしたり します。 そして ちがう 国(くに)の 人(ひと)の 文化(ぶんか)が よく わかるように しています。
異文化理解(いぶんか りかい)は ひとりひとりから はじまります。 ひとりひとりが 小(ちい)さいことを すると それが だんだん 大(おお)きくなって いきます。 自分(じぶん)が 生活(せいかつ)している ところで、 多文化共生(たぶんか きょうせい)が たいせつだと 思(おも)う人(ひと)は いっしょに やってみましょう。
どんなことを しているのかは 公式(こうしき)サイトを 見(み)てください。
京丹波町国際交流協会(きょうたんばちょうこくさいこうりゅうきょうかい)_公式(こうしき)サイト
まとめ
「生(う)まれたり 大(おお)きくなったりした 国(くに)や 場所(ばしょ)」「たいせつにする 神様(かみさま)」「たいせつに している こと」などが 自分(じぶん)と ちがう 人(ひと)たちの ことを しって、 その人(ひと)や その文化(ぶんか)を たいせつにすることが 「ちがう 文化(ぶんか)が わかること=異文化理解(いぶんか りかい)」です。
いまは グローバル化(か)〔=国(くに)と 国(くに)との 関係(かんけい)が つよくなって 世界(せかい)の 国(くに)が もっと ちかくなること〕が 進(すす)んでいます。 だから 自分(じぶん)が 住(す)んでいるところや 学校(がっこう)、 はたらく場所(ばしょ)などで 異文化理解(いぶんか りかい)が 必要(ひつよう)に なっています。
異文化理解(いぶんか りかい)が 進(すす)むと、 人(ひと)と 人(ひと)との 関係(かんけい)が よくなります。 しらなかったことが わかって あたらしい ことや あたらしい かんがえ方(かた)が 生(う)まれやすく なります。 また、 しらないから 「まちがって 思(おも)っていること」や、「いやだ」「きらいだ」と思(おも)う きもちを へらすことが できます。 そして、「ちがっていて いいです」「ちがっていることを たいせつにします。」という 多様性(たようせい)の かんがえ方(かた)が できる 社会(しゃかい)を つくることが できます。
「ちがっているのは ふつうのこと」と 思(おも)うところから はじめましょう。 そして 外国(がいこく)の 文化(ぶんか)を 経験(けいけん)したり、 外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)たちの 話(はなし)を 聞(き)いたりしましょう。「小(ちい)さいことが わかる」経験(けいけん)が たくさん 集(あつ)まって、 多文化共(たぶんか きょうせい)は 進(すす)んでいきます。
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