多文化共生(たぶんかきょうせい)は なぜ 必要(ひつよう)ですか?
「多文化共生(たぶんか きょうせい)は なぜ 必要(ひつよう)ですか?」 その こたえは むずかしいです。 日本(にほん)では 子(こ)どもが へっています。 わかい 人(ひと)も すくないです。 だから はたらく人(ひと)が たりません。 外国(がいこく)から たくさんの 人(ひと)たちが 来(き)て、 はたらいています。 京都府(きょうとふ)でも、 外国人(がいこくじん)が ちかくに 住(す)んだり、 外国人(がいこくじん)と いっしょに はたらいたり することが ふえています。 ここでは、 「多文化共生(たぶんか きょうせい)は なぜ 必要(ひつよう)ですか?」という しつもんに こたえます。 そして、 多文化共生(たぶんか きょうせい)の よい ところや むずかしい ところを せつめいします。
目次
- 1 多文化共生(たぶんかきょうせい)とは どんなことですか?
- 2 なぜ 日本(にほん)で 多文化共生(たぶんか きょうせい)が 必要(ひつよう)ですか?
- 3 多文化共生(たぶんか きょうせい)が 進(すす)むと 自分(じぶん)が 住(す)んでいる 場所(ばしょ)に よいことが あります
- 4 多文化共生(たぶんか きょうせい)の もんだい
- 5 多文化共生(たぶんか きょうせい)が 進(すす)まないと、どんな もんだいが 起(お)こりますか?
- 6 京丹波町国際交流協会(きょうたんばちょう こくさいこうりゅう きょうかい)は 京丹波町(きょうたんばちょう)の 多文化共生(たぶんか きょうせい)を てつだっています
- 7 まとめ
多文化共生(たぶんかきょうせい)とは どんなことですか?
「どこで 生(う)まれたか?」「だれから 生(う)まれたか?」「どんな ことばを つかうか?」「どんな 神様(かみさま)を たいせつに しているか?」「どんな 文化(ぶんか)や 習慣(しゅうかん)を もっているか?」は みんな ひとりひとり ちがいます。 多文化共生(たぶんか きょうせい)は、 「自分(じぶん)と ちがう ほかの 人(ひと)たちの ことも たいせつにしながら いっしょに 生活(せいかつ)しましょう」という かんがえ方(かた)です。
「ここは 日本(にほん)です。 外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)は 日本人(にほんじん)と おなじ やり方(かた)を しなさい。」「日本(にほん)の やり方(かた)だけが 正(ただ)しいです。 外国(がいこく)の やり方(かた)は だめです。」というのは、 共生〔きょうせい=自分(じぶん)と ちがう 人(ひと)たちを たいせつに しながら いっしょに 生活(せいかつ)すること〕では ありません。 どの国(くに)の 人(ひと)も 自分(じぶん)の 国(くに)の 文化(ぶんか)や やり方(かた)は たいせつです。 そして、 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)したいです。 だから 「日本(にほん)と おなじ やり方(かた)を しなさい」と 言(い)わないでください。 「やり方(かた)が ちがう 外国人(がいこくじん)と、 どうしたら いっしょに うまく 生活(せいかつ)できるか かんがえましょう。 そして かれらと よい 関係(かんけい)を つくりましょう。」 これが 多文化共生(たぶんか きょうせい)で いちばん たいせつです。
生(う)まれた 国(くに)や 文化(ぶんか)が ちがうことを たいせつにする かんがえ方(かた)
多文化共生(たぶんか きょうせい)は、 みんなが おなじに なることでは ありません。 ちがうことを なくすのでは ありません。 ひとりひとり 「食(た)べるものや 食(た)べ方(かた)」「たいせつにする 神様(かみさま)や、 神様(かみさま)に いのる やり方(かた)」「つかう ことば」「人(ひと)が たいせつにする もの」は ちがいます。 はじめに ちがうことを しりましょう。 そして、 わからないことを 聞(き)きましょう。 なぜ ちがうのか、 いっしょに 話(はな)しましょう。 そのことが とても たいせつです。
たとえば、 役所(やくしょ)の 受付(うけつけ)に、 いろいろな 国(くに)の ことばを 日本語(にほんご)に かえる きかいが あります。 日本語教室〔にほんご きょうしつ=日本語(にほんご)を 勉強(べんきょう)できる 場所(ばしょ)〕が あります。 これは 多文化共生(たぶんか きょうせい)の かんがえ方(かた)から できました。 「ちがうこと」は こまることでは ありません。 「ちがうこと」は あって いいです。 「いろいろ ちがうことが あって おもしろいです」「ちがう ことを もっと しりたいです」と思(おも)う 人(ひと)が ふえると、 だれでも 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)できる 社会(しゃかい)を つくることが できます。
日本(にほん)で なぜ 「多文化共生(たぶんか きょうせい)」と 言(い)われますか?
日本(にほん)で なぜ 「多文化共生(たぶんか きょうせい)」という ことばが よく つかわれますか? それは 外国(がいこく)から 来(き)て 日本(にほん)で はたらく 人(ひと)たちが とても ふえたからです。
2024年(ねん)は、 前(まえ)の 年(とし)と くらべて、 12% ふえました。 日本(にほん)は 子(こ)どもや わかい人(ひと)が すくないです。 おじいさん・おばあさんが とても おおいです。 だから はたらく人(ひと)が たりません。 外国(がいこく)から 日本(にほん)に 来(き)て、 はたらく 人(ひと)たちは、 とても たいせつです。 しかし、 ことば、 生活(せいかつ)の やり方(かた)、 はたらき方(かた)が ちがうなど、 もんだいも あります。 いっしょに うまく はたらくために、 よい やり方(かた)を かんがえる 必要(ひつよう)が 生(う)まれました。
参考(さんこう)にしたところ:「外国人雇用状況(がいこくじんこようじょうきょう)」の届出状況(とどけでじょうほう)まとめ(令和(れいわ)6年(ねん)10月末時点(がつまつじてん)) |厚生労働省(こうせいろうどうしょう)
いろいろな 場所(ばしょ)で やっていること
群馬県(ぐんま けん)は、 日本(にほん)の 中(なか)で、 特(とく)に 外国人(がいこくじん)が たくさん 生活(せいかつ)しています。 だから 多文化共生(たぶんか きょうせい)の きまりを つくりました。 そして、 外国人(がいこくじん)と 日本人(にほんじん)が いっしょに 住(す)みやすく しました。 たとえば、 外国人(がいこくじん)が 日本語(にほんご)を 勉強(べんきょう)できる 場所(ばしょ)を たくさん つくりました。 こまったことや わからないことを 相談(そうだん)する 場所(ばしょ)も つくりました。 また 外国人(がいこくじん)と 日本人(にほんじん)が いっしょに たのしむ 会(かい)を やります。
神戸市(こうべ し)は、「神戸市(こうべし)に 住(す)む 外国人(がいこくじん)が、 日本人(にほんじん)から いやなことを 言(い)われたり されたり しないで、 いっしょに 多文化共生(たぶんか きょうせい)の 社会(しゃかい)を つくる きまり」を 2024年(ねん)に つくりました。
多文化共生(たぶんか きょうせい)は、 日本(にほん)の 特別(とくべつ)な 場所(ばしょ)だけで やることでは ありません。 日本(にほん)の 国(くに)の 中(なか)の どこでも、 いつでも、 みんなが いっしょに やる たいせつな ことです。
参考(さんこう)にしたところ:群馬県(ぐんまけん)多文化共生(たぶんかきょうせい)・共創推進条例(きょうそうすいしんじょうれい)
神戸市(こうべし)・外国人(がいこくじん)に対(たい)する不当(ふとう)な差別(さべつ)の解消(かいしょう)と多文化共生社会(たぶんかきょうせいしゃかい)の実現(じつげん)に関(かん)する条例(じょうれい)
なぜ 日本(にほん)で 多文化共生(たぶんか きょうせい)が 必要(ひつよう)ですか?
このごろの 日本(にほん)は、 いままでと 社会(しゃかい)が 大(おお)きく かわりました。 特(とく)に こまった もんだいは、 「子(こ)どもや わかい人(ひと)が へって、 おじいさん・おばあさんが とても ふえたこと」、 そして 「はたらく人(ひと)が たりないこと」です。 はたらく人(ひと)が いないと、 社会(しゃかい)は こわれます。 社会(しゃかい)の しごとや お金(かね)が うまく 動(うご)くために、 外国(がいこく)から 来(く)る人(ひと)たちの 力(ちから)が 必要(ひつよう)です。 だから かれらと いっしょに 生活(せいかつ)するための 多文化共生(たぶんか きょうせい)も 必要(ひつよう)に なります。
もっと ていねいに せつめいします。
日本(にほん)は はたらく 人(ひと)が へっている
日本(にほん)は、「子(こ)どもや わかい人(ひと)が へって、 おじいさん・おばあさんが とても ふえたので、 はたらく人(ひと)が たりない」という もんだいが あります。
はたらく人(ひと)が へると…
1.おじいさん・おばあさんの 世話(せわ)を したり、 病院(びょういん)で はたらいたり、 ものを はこんだりする しごとが できない。
2.人(ひと)が すくない 場所(ばしょ)で、 電車(でんしゃ)や バスが 走(はし)らない。 店(みせ)が なくなる。 道(みち)などを なおす しごとが できない。
こんな こまったことが 起(お)きます。 どうしたら はたらく人(ひと)が ふえるか、 はやく かんがえる 必要(ひつよう)が あります。
いまは 外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちと いっしょに 生活(せいかつ)する 時代(じだい)です
外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちが いっしょに 生活(せいかつ)する 時代(じだい)は これから はじまりますか? いいえ、 もう はじまっています! そのことを しってください。
店(みせ)、 工場(こうじょう)、 介護施設〔かいご しせつ=おじいさん・おばあさんが 世話(せわ)を うける ところ〕、 農場〔のうじょう=やさいや 動物(どうぶつ)を 育(そだ)てる ところ〕など、 たくさんの 場所(ばしょ)で、 外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちが はたらいています。 学校(がっこう)や 住(す)んでいるところの 会(かい)に、 外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちの 子(こ)どもや かぞくが 来(き)ます。 そして、 日本人(にほんじん)と いっしょに 勉強(べんきょう)したり たのしんだり します。
多文化共生(たぶんか きょうせい)は 「これから じゅんびを します」という 話(はなし)では ありません。 社会(しゃかい)の しごとや お金(かね)が うまく 動(うご)くように、 いますぐ やらなければならない たいせつな ことです。
多文化共生(たぶんか きょうせい)が こまった もんだいを へらします
多文化共生(たぶんか きょうせい)が 進(すす)むと、 こまった もんだいが 起(お)きるのを へらすことも できます。
人(ひと)は、 ことばや 文化(ぶんか)が ちがうと、 わからないから 心配(しんぱい)に なります。 正(ただ)しくないことを 本当(ほんとう)だと 思(おも)うことも あります。 わからないことや 心配(しんぱい)な ことが ふえると、「自分(じぶん)たち」と 「自分(じぶん)たちと ちがう ほかの ところから 来(き)た 人(ひと)たち」の 関係(かんけい)は わるくなります。
多文化共生(たぶんか きょうせい)は、「ほかの ところから 来(き)た 人(ひと)たちを わるいと 思(おも)うのは だめです。 よい 関係(かんけい)に なりなさい!」と 怒(おこ)ることでは ありません。 はじめに 「どんな やり方(かた)が あるのか?」「なぜ そうするのか?」を しること、 伝(つた)えることが 必要(ひつよう)です。 それが できたら みんなが 安心(あんしん)する からです。 その人(ひと)たちを 正(ただ)しく しること。 自分(じぶん)たちの きまりや 理由(りゆう)を 伝(つた)えること。 わからないことや こまることは、 聞(き)いたり 話(はな)したりすること。 それが できれば、 もんだいが 起(お)きる 前(まえ)に、 よい 関係(かんけい)を つくることが できます。
災害(さいがい)・病気(びょうき)や けが・子(こ)どもを 育(そだ)てる時(とき)に 多文化共生(たぶんか きょうせい)は たいせつです
多文化共生(たぶんか きょうせい)は みんなが とても こまった時(とき)、 力(ちから)を かしあうために 必要(ひつよう)です。 たとえば、 大(おお)きな 地震(じしん)や 台風(たいふう)などの 災害(さいがい)が 起(お)きた時(とき)、 COVID-19など 人(ひと)に うつる 病気(びょうき)が、 たくさんの 人(ひと)に 出(で)た時(とき) などは、 全部(ぜんぶ)の 人(ひと)が 正(ただ)しいことを しらなければ なりません。 それを しらない人(ひと)が 死(し)ぬかも しれないからです。
「いつ どこへ にげたら いいか」 「どこで 医者(いしゃ)に みてもらうか」 などを しらせる 日本語(にほんご)は、 どても むずかしいです。 日本語(にほんご)が あまり わからない 人(ひと)たちに、 その ことばが 伝(つた)わらない かもしれません。 また、 子(こ)どもを 育(そだ)てる おとうさん・おかあさんは 子(こ)どもが うける 注射(ちゅうしゃ)の ことなど、 日本(にほん)の やり方(かた)を しらない かもしれません。 それを だれにも 聞(き)けなくて、 心配(しんぱい)が ふえることも あります。
毎日(まいにち)の 生活(せいかつ)の 中(なか)で、 よい 関係(かんけい)を つくることから、 多文化共生(たぶんか きょうせい)は 進(すす)みます。 しかし それは、 災害(さいがい)や うつる 病気(びょうき)など、 みんなが とても こまった時(とき)に、 だれでも 力(ちから)を かしてもらうための じゅんびに なります。
住(す)んでいる 場所(ばしょ)の グローバル化(か)を 進(すす)める
自分(じぶん)が 住(す)んでいる 場所(ばしょ)に、 外国(がいこく)から はたらく人(ひと)に 来(き)てもらいます。 そして、 多文化共生(たぶんか きょうせい)の やり方(かた)で、 かれらと いっしょに はたらいたり 生活(せいかつ)したり します。 すると、 住(す)んでいる 場所(ばしょ)の グローバル化(か)〔=国(くに)と 国(くに)との 関係(かんけい)が つよくなって、 世界(せかい)の 国(くに)が もっと ちかくなること〕が 進(すす)みます。
いま、 日本(にほん)の 社会(しゃかい)は とても 大(おお)きく かわっています。 グローバル化(か)が 進(すす)んだ 場所(ばしょ)は、 社会(しゃかい)が 大(おお)きく かわっても こまりません。 かわることを よいことに できるからです。 「外国(がいこく)に ものを 売(う)ったり、 外国(がいこく)から ものを 買(か)ったりすること」「たくさんの 外国人(がいこくじん)に 旅行(りょこう)に 来(き)てもらうこと」「外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちに、 そこに 住(す)んで ながく はたらいて もらうこと」などが その場所(ばしょ)の 生活(せいかつ)を げんきに します。
多文化共生(たぶんか きょうせい)は、 こまっている 外国人(がいこくじん)に 力(ちから)を かすだけでは ありません。 自分(じぶん)の 住(す)んでいる 場所(ばしょ)が、 ずっと うまく 進(すす)んでいくための たいせつな やり方(かた)です。
多文化共生(たぶんか きょうせい)が 進(すす)むと 自分(じぶん)が 住(す)んでいる 場所(ばしょ)に よいことが あります

多文化共生(たぶんか きょうせい)は、 外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちに よいことが ありますが、 その 場所(ばしょ)で 生活(せいかつ)する 全部(ぜんぶ)の 人(ひと)にも よいことが あります。 どんな ことでしょうか?
・みんなが 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)できる 場所(ばしょ)に なる
・日本人(にほんじん)にも 住(す)みやすい 社会(しゃかい)になる
・あたらしい 文化(ぶんか)や かんがえ方(かた)が はいってくる
わかりやすく せつめいします。
みんなが 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)できる 場所(ばしょ)になる
多文化共生(たぶんか きょうせい)が 進(すす)むと、 外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちのことが よく わかります。 「しらないから 心配(しんぱい)」な きもちは、 「しっているから 安心(あんしん)」な きもちに なります。 「話(はな)さないから こわい人(ひと)」は、 「話(はな)すことができる ともだち」に かわります。 ことばや 文化(ぶんか)が ちがうから、 こまることが 起(お)きます。 外国(がいこく)と 日本(にほん)の やり方(かた)が ちがうから、 わからないことや まちがうことも あります。 その もんだいを すくなくする やり方(かた)を かんがえて、 よい 関係(かんけい)を つくります。 すると 社会(しゃかい)の 中(なか)で、 心配(しんぱい)な こわい きもちが へって、 安心(あんしん)な きもちが ふえます。
大(おお)きな 地震(じしん)や 台風(たいふう)などの 災害(さいがい)が 起(お)きた時(とき)」、「子(こ)どもを 育(そだ)てる時(とき)」、「病気(びょうき)や けがを した時(とき)」に、 外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちと 日本人(にほんじん)が よく わかりあって いたら 安心(あんしん)です。 力(ちから)を かしたり、 かしてもらったり できます。 だから 多文化共生(たぶんか きょうせい)が 進(すす)むと、 全部(ぜんぶ)の 人(ひと)が 安心(あんしん)して いっしょに 生活(せいかつ)できる 社会(しゃかい)に なります。
日本人(にほんじん)にも 住(す)みやすい 社会(しゃかい)になる
多文化共生(たぶんか きょうせい)は 外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちの 役(やく)に 立(た)ちます。 しかし、 それだけでは ありません。「『やさしい日本語(にほんご)』を つかって わかりやすく しらせること」 「こまったことを 相談(そうだん)できる 場所(ばしょ)を つくること」は、 おじいさん・おばあさんや、 子(こ)ども、 生活(せいかつ)の 中(なか)で こまることが ある人(ひと)の 役(やく)に 立(た)ちます。
いろいろな 人(ひと)たちの 役(やく)に 立(た)つ やり方(かた)は、 そこに 住(す)む 全部(ぜんぶ)の 人(ひと)たちも つかうことが できます。 だから、 多文化共生(たぶんか きょうせい)が 進(すす)むと、 日本人(にほんじん)にも 住(す)みやすい 場所(ばしょ)が つくられます。
あたらしい 文化(ぶんか)や かんがえ方(かた)が はいってくる
多文化共生(たぶんか きょうせい)が 進(すす)むと、 外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちの 生活(せいかつ)や 文化(ぶんか)が わかります。 日本(にほん)と ちがう やり方(かた)や かんがえ方(かた)を しることが できます。 そこから いままで なかった 「あたらしい やり方(かた)や かんがえ方(かた)」が、 その 場所(ばしょ)に 生(う)まれるかも しれません。
食(た)べることや 音楽(おんがく)などを たのしむ 会(かい)を、 かれらと いっしょに やってみましょう。 みんなの きもちや その 場所(ばしょ)が げんきに なります。 自分(じぶん)が 住(す)んでいる 場所(ばしょ)は、 とても よい ところだと 思(おも)うかもしれません。
また、 外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちと いっしょに はたらくと、 いままでと ちがう やり方(かた)が 出(で)てきます。 そこから あたらしい かんがえ方(かた)や、 もっと べんりな やり方(かた)が 生(う)まれるかも しれません。
外国(がいこく)の 人(ひと)に 日本(にほん)や 京丹波町(きょうたんばちょう)の 食(た)べ物(もの)や 音楽(おんがく)を 教(おし)えたく なるかも しれません。 日本(にほん)や 京丹波町(きょうたんばちょう)の 良(よ)い ところが 見(み)つかるかも しれません。
多文化共生(たぶんか きょうせい)は、 住(す)んでいる 場所(ばしょ)が これからもっと よくなる 力(ちから)を もっています。
多文化共生(たぶんか きょうせい)の もんだい
多文化共生(たぶんか きょうせい)は もんだいも あります。
いちばんの もんだいは、 ことばや 文化(ぶんか)が ちがうこと です。 外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちは、 生活(せいかつ)の やり方(かた)や たいせつに することが 日本人(にほんじん)と ちがいます。 「ちがうこと」や「なぜ そうするのか?」が わからないと、 日本人(にほんじん)は 正(ただ)しくないことを 本当(ほんとう)のことだと 思(おも)うことも あります。
また、 「いろいろな 国(くに)の ことばで 会話(かいわ)する やり方(かた)を つくること」「日本語(にほんご)が 勉強(べんきょう)できる 場所(ばしょ)を つくること」「こまったことを 相談(そうだん)できる 場所(ばしょ)を つくること」などに 時間(じかん)と お金(かね)と それを する人(ひと)が 必要(ひつよう)です。 それも もんだいです。
しかし、 この もんだいは、 みんなで 話(はな)しあって、 よい やり方(かた)を つくることで すこしずつ よくなって いきます。 いまは お金(かね)が たくさん 必要(ひつよう)で、 人(ひと)は いそがしい かもしれません。 でも 多文化共生(たぶんか きょうせい)が 進(すす)むと、 住(す)んでいる ところが 安心(あんしん)できる げんきな 場所(ばしょ)に なります。 だから これは たいせつな ことです。
多文化共生(たぶんか きょうせい)が 進(すす)まないと、どんな もんだいが 起(お)こりますか?
多文化共生(たぶんか きょうせい)が 進(すす)まないと、 こまった もんだいは よくなりません。 ことばや 文化(ぶんか)が ちがうことから、 正(ただ)しくないことを 本当(ほんとう)のことだと 思(おも)ってしまいます。 そして 外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちを 「こわい 人(ひと)たちだ」「わるい 人(ひと)たちだ」と 思(おも)うかも しれません。 「しらない」ことが 理由(りゆう)で、 外国人(がいこくじん)を まちがって 見(み)てしまいます。 そして、 外国人(がいこくじん)が、 ひとりで こまることが ふえる かもしれません。 日本人(にほんじん)が かれらに 話(はな)さない、 力(ちから)を かさないからです。 日本人(にほんじん)が かれらの ことを わるく 言(い)うからです。
住(す)んでいる 場所(ばしょ)で、 外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)と 日本人(にほんじん)が、 わるい 関係(かんけい)に なってしまったら…? 大(おお)きな 地震(じしん)や 台風(たいふう)などの 災害(さいがい)の時(とき)に、 安全(あんぜん)で いられますか? 子(こ)どもを 安心(あんしん)して 育(そだ)てられますか? そこで いっしょに うまく 生活(せいかつ)できますか? みんなが 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)できる 社会(しゃかい)を つくるために、 かれらの ことを 「しる」 必要(ひつよう)が あります。
京都府(きょうと ふ)も いろいろな 場所(ばしょ)で 多文化共生(たぶんか きょうせい)を 進(すす)めています
京都府(きょうとふ)に 住(す)んでいる 外国人(がいこくじん)は、 2024年(ねん)で 全部(ぜんぶ)の 人(ひと)の 3%ぐらいです。 京都府(きょうとふ)で 見(み)る 外国人(がいこくじん)は、 旅行(りょこう)で 来(き)た 人(ひと)たちも おおいです。 でも たくさんの 外国人(がいこくじん)が、 勉強(べんきょう)や しごとで 来(き)て、 京都府(きょうとふ)に 住(す)んでいます。
京都府(きょうとふ)の 中(なか)に、 多文化共生(たぶんか きょうせい)を よく 進(すす)めている 場所(ばしょ)が あります。 そこは 住(す)んでいる 人(ひと)たちが、 みんなで いっしょに 多文化共生(たぶんか きょうせい)を 進(すす)めます。 京丹波町(きょうたんば ちょう)は どうですか? 多文化共生(たぶんか きょうせい)は とおい ところの 話(はなし)ですか? いいえ、 京丹波町(きょうたんばちょう)も いますぐ 多文化共生(たぶんか きょうせい)を 進(すす)める 時(とき)が 来(き)ています。
参考(さんこう)にしたところ:京都府(きょうとふ)の多文化共生(たぶんかきょうせい)の取組(とりく)み
多文化共生(たぶんか きょうせい)は すぐに はじめることが できます!
多文化共生(たぶんか きょうせい)は、 特別(とくべつ)な 勉強(べんきょう)を する 必要(ひつよう)は ありません。 たくさんの 人(ひと)が 大(おお)きな ことを しなくても いいです。
・ゆっくり わかりやすい 日本語(にほんご)で 話(はな)す
・その 人(ひと)たちの 文化(ぶんか)や 習慣(しゅうかん)を 教(おし)えてもらう
・住(す)んでいる ところの 会(かい)に 「いっしょに 行(い)きましょう!」と 言(い)う
など、 自分(じぶん)が できる ことから はじめられます。
「ちがうので わかりません」「わからないから わたしには できません」と 思(おも)わないでください。 「ちがうことを しりたい。 教(おし)えて ほしい」と 思(おも)う きもちが たいせつです。 ひとりひとりの 小(ちい)さな きもちが あつまって、 みんなが 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)できる 場所(ばしょ)が つくられます。
「多文化共生(たぶんか きょうせい)を 進(すす)めるために 自分(じぶん)が できることを しりたい」と 思(おも)う 人(ひと)は、 次(つぎ)のところを 見(み)てください。
「多文化共生(たぶんかきょうせい)を 進(すす)めるのに 私(わたし)は 何(なに)が できますか?」と 思(おも)った 人(ひと)は 次(つぎ)の 話(はなし)も 読(よ)んでください。➡ 多文化共生(たぶんか きょうせい)のために わたしが できることを しりたい!
京丹波町国際交流協会(きょうたんばちょう こくさいこうりゅう きょうかい)は 京丹波町(きょうたんばちょう)の 多文化共生(たぶんか きょうせい)を てつだっています

京丹波町(きょうたんばちょう)に 住(す)んでいる 全部(ぜんぶ)の 人(ひと)の 2.5%ぐらいが 外国人(がいこくじん)です(2025年 12月)。 ベトナムから 来(き)た 人(ひと)たちが いちばん おおいです。 インドネシアから 来(き)た 人(ひと)たちが 2ばんめに おおいです。 3ばんめは、 韓国(かんこく)から 来(き)た 人(ひと)たちです。 技能実習生(ぎのう じっしゅうせい)が おおいです。 京丹波町(きょうたんばちょう)は 住(す)む 人(ひと)が とても へっています。 だから かれらは 京丹波町(きょうたんばちょう)で はたらく たいせつな 人(ひと)たちです。 外国(がいこく)から 京丹波町(きょうたんばちょう)に はたらきに 来(く)る 人(ひと)たちは 毎年(まいとし) ふえています。 かれらは、 しごとの 場所(ばしょ)や 学校(がっこう)、 住(す)んでいる 場所(ばしょ)で、 いっしょに 生活(せいかつ)する 人(ひと)たちです。
わたしたち 京丹波町国際交流協会(きょうたんばちょう こくさいこうりゅう きょうかい)は、 京丹波町(きょうたんばちょう)に 住(す)む、 外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちと 日本人(にほんじん)の よい 関係(かんけい)を つくるために いろいろな ことを しています。
協会(きょうかい)は 「外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちが 日本人(にほんじん)と いっしょに たのしむ 会(かい)を する」「日本語(にほんご)を 勉強(べんきょう)できる 日本語教室(にほんご きょうしつ)を ひらく」「生活(せいかつ)に 必要(ひつよう)な ことや きまりなどを しらせる」ことを しています。 そして、 だれでも 安心(あんしん)して 京丹波町(きょうたんばちょう)で 生活(せいかつ)できるように 力(ちから)を かしています。 自分(じぶん)の 住(す)んでいる ところで、 多文化共生(たぶんか きょうせい)を いっしょに 進(すす)めることについて しりたい人(ひと)は、 協会(きょうかい)の 公式(こうしき)サイトを 見(み)てください。
京丹波町国際交流協会(きょうたんばちょうこくさいこうりゅうきょうかい)_公式(こうしき)サイト
まとめ
多文化共生(たぶんか きょうせい)は 「こうなったら いちばん いいですが、 それは とても むずかしいです」という 話(はなし)では ありません。 自分(じぶん)の 住(す)んでいる 場所(ばしょ)が、 これからも うまく つづくために 必要(ひつよう)な ことです。 「子(こ)どもや わかい人(ひと)が へっている」「おじいさん・おばあさんが ふえている」、 だから 「はたらく人(ひと)が たりない」のが わたしたちの 社会(しゃかい)です。 そこで 外国(がいこく)から 来(き)た 人(ひと)たちと いっしょに 生活(せいかつ)することは、 もう ふつうの ことに なっています。 もんだいは ありますが、 いっしょに 話(はな)しあうことや、 よい やり方(かた)を かんがえることで、 もんだいを へらすことが できます。
「ちがうこと」は あります。 「ちがうこと」は あって よいです。 「ちがうこと」の ある 人(ひと)たちと、 安心(あんしん)して いっしょに 生活(せいかつ)できる 場所(ばしょ)を つくることが たいせつです。 「何(なに)が たいせつか」を ひとりひとりが しって、 できることを やりましょう。 小(ちい)さな ことで よいです。 そのことが、 自分(じぶん)たちが 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)できる これからの 社会(しゃかい)を つくります。
関連記事
-
「ちがう 文化(ぶんか)が わかる=異文化理解(いぶんか りかい)」とは どんなことですか?
『ちがう 文化(ぶんか)が わかること=異文化理解(いぶんか りかい)』とは どんなことでしょう? それは なぜ 必要(ひつよう)ですか? どんな やり方(かた)が ありますか? どんな 勉強(べんきょう)を しますか? わかりやすく せつめいします。
-
多文化共生(たぶんか きょうせい)のために わたしが できることを しりたい!
多文化共生(たぶんか きょうせい)の ために 自分(じぶん)が できることは ありますか? あいさつ、 「やさしい日本語(にほんご)」、 住んでいる ところで いっしょに やれること…など、 いますぐ できることを 紹介(しょうかい)します。 京丹波町(きょうたんばちょう)で やっていることも 伝(つた)えます。
-
「多様性(たようせい)=ダイバーシティ」とは なんですか?
『多様性(たようせい)=ダイバーシティ』とは なにか? を わかりやすく せつめいします。 みんなが 生活(せいかつ)しやすい 社会(しゃかい)を つくるための 勉強(べんきょう)が できます。



