「多様性(たようせい)=ダイバーシティ」とは なんですか?
「多様性(たようせい)=ダイバーシティ」という ことばを 時々(ときどき) 聞(き)きます。 はたらく場所(ばしょ)や 学校(がっこう)、 住(す)んでいる場所(ばしょ)でも つかいます。 「どんな ことですか?」「わたしに 関係(かんけい)が ありますか?」
「多様性(たようせい)」は 特別(とくべつ)なことでは ありません。 わたしたちの 毎日(まいにち)の 生活(せいかつ)に 関係(かんけい)しています。
たとえば どんな ことですか? ここで 伝(つた)えます。 そして 「多様性(たようせい)」の 意味(いみ)や なぜ たいせつかを わかりやすく せつめいします。
目次
「多様性(たようせい)=ダイバーシティ」とは なんですか?
「何さいか?」「女(おんな)か、 男(おとこ)か?」「どこの 国(くに)の 人(ひと)か?」「どんなことを たいせつに しているか?」「どんなふうに しごとを するか?」などは みんな ちがいます。 「ちがっていて いいです。」「ちがっていることを たいせつに します。」と かんがえるのが 「多様性(たようせい)=ダイバーシティ」です。
いままでは、「みんな おなじことを しなさい。」「みんなと おなじが いいことです。」と 言(い)われました。 しかし いまは、 ひとりひとりの ちがうところが 社会(しゃかい)で 役(やく)に立(た)つと かんがえます。 ちがうところが あるから 住(す)んでいる 場所(ばしょ)が もっと よくなると かんがえます。
多様性(たようせい)は 特別(とくべつ)なことでは ありません。 わたしたちの 生活(せいかつ)の 中(なか)に あることです
なぜ いま、 多様性(たようせい)が たいせつに されますか?
近年、いまの 日本(にほん)では 子どもが とても すくなく なっています。 そして おじいさんや おばあさんが とても ふえています。 外国(がいこく)から 人(ひと)や ものや ニュースが たくさん 入(はい)ってきます。 だから 多様性(たようせい)が たいせつに されます。
日本(にほん)では はたらく人(ひと)が だんだん すくなく なっていますから 外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)や、 おじいさん・おばあさん、 女(おんな)の人(ひと)など いろいろな人(ひと)が はたらきます。 いろいろな 人(ひと)が 安全(あんぜん)に 安心(あんしん)して はたらく 場所(ばしょ)を つくる 必要(ひつよう)が あります。 いまは SNSなどで 外国(がいこく)の人(ひと)たちが たいせつにすることや 生活(せいかつ)の やり方(かた)を しることも できます。
「人(ひと)は みんな ちがいます。」「ひとりひとり ちがうところが あります。」ということを たくさんの 人(ひと)が わかっています。 ほかの人(ひと)が 自分(じぶん)と ちがうのは へんではありません。 ふつうの ことです。
多様性(たようせい)は もう わたしたちの ちかくに ある
多様性(たようせい)は 特別(とくべつ)なことですか? いいえ、 もう わたしたちの 生活(せいかつ)の 中(なか)に あることです。
たとえば、 「外国(がいこく)から 旅行(りょこう)に 来(き)た人(ひと)を ちかくで よく 見(み)る」こと、 「外国(がいこく)から しごとに 来(き)た人(人)が 自分(じぶん)と いっしょに はたらいている」こと です。 「会社(かいしゃ)に 行(い)かないで、 インターネットを つかって 自分(じぶん)の 家(いえ)で しごとを する」「人(ひと)よりも みじかい 時間(じかん)だけ はたらく」など、 いろいろな はたらき方(かた)が あることも 多様性(たようせい)です。
住(す)んでいる場所(ばしょ)や 学校(がっこう)、 はたらく場所(ばしょ)では、 どんな 多様性(たようせい)が ありますか? 紹介(しょうかい)します。
【住(す)んでいる場所(ばしょ)】の 多様性(たようせい)
住(す)んでいる場所(ばしょ)の 多様性(たようせい)は どんな ことですか?
- 外国(がいこく)から 来(き)て 生活(せいかつ)している人(ひと)の ためにいろいろな 国(くに)の ことばで しらせる
- だれも こまらないで うごくことが できる みんなの ための 場所(ばしょ)を つくる
- 自分(じぶん)の たいせつな 神様(かみさま)や 食(た)べられない 食(た)べ物(もの)のことを たいせつに かんがえた やり方(かた)を してもらう
これが どんなことかを しると、 多様性(たようせい)が わたしたちにとって ふつうの ことだと わかります。
いろいろな 国(くに)の ことばで しらせる
駅(えき)や 役所(やくしょ)、 病院(びょういん)、旅行(りょこう)で 行(い)く場所(ばしょ)などで、 いろいろな ことばを 見(み)ます。 日本語(にほんご)、英語(えいご=English)、 中国語(ちゅうごくご=Chinese)、 韓国語(かんこくご=Korean)、 「やさしい日本語(にほんご)」などです。 外国(がいこく)から 来(き)て 日本(にほん)で 生活(せいかつ)する 人(ひと)たちや、 外国(がいこく)から 旅行(りょこう)に 来(き)た人(ひと)たちが 安心(あんしん)できる やり方(かた)です。「やさしい日本語(にほんご)」は 日本語(にほんご)を 勉強(べんきょう)している 人(ひと)だけではなく、 おじいさんや おばあさん、 子(こ)ども、 生活(せいかつ)の 中(なか)で こまることの ある人(ひと)にも 役(やく)に 立(た)ちます。
ことばが わかると、 必要(ひつよう)なことを だれでも しることが できます。 いろいろな 国(くに)の ことばを つかって しらせることは、 多様性(たようせい)の やり方(かた)です。
「やさしい日本語(にほんご)」については、 次(つぎ)の ところを 見(み)てください。
「やさしい日本語(にほんご)」ってなに?書(か)き方(かた)や使(つか)い方(かた)を知(し)って多文化共生(たぶんかきょうせい)に役立(やくだ)てよう
だれでも うごきやすい 場所(ばしょ)
みんなが つかう 場所(ばしょ)には エレベーターや いろいろな人(ひと)が つかえる トイレが あります。 これも 多様性(たようせい)の やり方(かた)です。 階段(かいだん)が つかえない おじいさんや おばあさん、 歩(ある)くことが むずかしい人(ひと)、 小(ちい)さい 子(こ)どもと いっしょの人(ひと)などが 安心(あんしん)して その場所(ばしょ)を つかえるように しています。
いまは、 目(め)が 見(み)えない人(ひと)に わかるように 音(おと)で しらせたり、 足(あし)の 裏(うら)などで わかるようにしたり することも ふえました。 このような やり方(かた)は 「だれか 特別(とくべつ)な 人(ひと)」の ためだけに あるのでは ありません。 全部(ぜんぶ)の 人(ひと)が 生活(せいかつ)しやすい 社会(しゃかい)に するために とても たいせつなことです。
ひとりが たいせつに していることを みんなで たいせつにする やり方(かた)
いまは その人(ひと)が たいせつに している 神様(かみさま)や 文化(ぶんか)をみんなで たいせつにする やり方(かた)が ふえています。 たとえば、 食(た)べては いけない 食(た)べ物(もの)を つかわない 料理(りょうり)を だす レストランや、 神様(かみさま)に いのる ところを 用意(ようい)している 場所(ばしょ)が あります。
また、「食(た)べる 文化(ぶんか)が ちがう」ことや 「生活(せいかつ)の やり方(かた)が ちがう」ことを よく わかって 「ちがうのは ふつうのこと」だと 思(おも)うのは たいせつです。 外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)も、 日本(にほん)に 住(す)む いろいろな 人(ひと)も、 みんなが 安心(あんしん)して 自分(じぶん)の 場所(ばしょ)で 生活(せいかつ)するために 必要(ひつよう)な ことです。
【学校(がっこう)】の 多様性(たようせい)
学校(がっこう)には、いろいろな 子(こ)どもが 集(あつ)まります。 だから ひとりひとり 「みんな ちがう」ことを よく わかって、 だれでも たいせつにされる やり方(かた)が 必要(ひつよう)です。
- 男(おとこ)と 女(おんな)で わけていた やり方(かた)を かえる
- 外国(がいこく)から 来(き)て 日本(にほん)で 生活(せいかつ)する人(ひと)の 子(こ)どもの、 勉強(べんきょう)や 学校(がっこう)の 生活(せいかつ)を てつだう
- 勉強(べんきょう)や ともだちの ことで こまることがある いろいろな 子(こ)どもを てつだう やり方(かた)を かんがえる
男(おとこ)と女(おんな)で わけていた やり方(かた)を かえる
いままで 学校(がっこう)で、 男(おとこ)と 女(おんな)で わけていた やり方(かた)を かえることが ふえています。 たとえば、 なまえの 表(ひょう)は いままで 男(おとこ)と 女(おんな)で わけていました。 しかし、 いまは 「あ・い・う・え・お…」の ならべ方(かた)で 女(おんな)も 男(おとこ)も いっしょに ならべます。 学校(がっこう)で 着(き)る ふくを 女(おんな)も 男(おとこ)も おなじにして 自分(じぶん)の 着(き)たい ふくを えらぶことも ふえています。
いままで 「ふつうの こと」と 思(おも)っていたことを 「ほんとうに これで いいですか?」と かんがえます。 そして ひとりひとりの きもちや 生活(せいかつ)を たいせつにする やり方(かた)に かえるように しています。 「男(おとこ)だから」「女(おんな)だから」と きめない やり方(かた)は 多様性(たようせい)を たいせつに しています。
外国(がいこく)から 来(き)た 子(こ)どもたちを てつだう
日本(にほん)の 学校(がっこう)に 外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)たちの 子(こ)どもが 勉強(べんきょう)に 来(く)ることが ふえています。 だから 学校(がっこう)では 日本語(にほんご)の 勉強(べんきょう)を てつだったり、 いろいろな 国(くに)の ことばで 必要(ひつよう)なことを しらせたり しています。
また、 「イスラムの 神様(かみさま)を しんじる人(ひと)が 食(た)べる ブタ肉(にく)を つかわない 料理(りょうり)」を みんなで 食(た)べるなど、 ちがう 文化(ぶんか)や 習慣(しゅうかん)を しる けいけんを したりします。 そして、 子(こ)どもたちが 「これを たいせつに している 国(くに)が ある」「外国(がいこく)には いろいろな やり方(かた)が ある」「いろいろ あるのは ふつうのこと」と わかるように しています。 ちがう 文化(ぶんか)や 習慣(しゅうかん)を もっている 子(こ)どもたちが いっしょに 勉強(べんきょう)すると、 多様性(たようせい)が よく わかります。 そして 多文化共生(たぶんか きょうせい)が 自分(じぶん)の 生活(せいかつ)で たいせつな ことだと わかります。
いろいろな 子(こ)どもを てつだう やり方(かた)
学校(がっこう)には いろいろな 子(こ)どもが います。 よく わかる 勉強(べんきょう)の やり方(かた)は ひとりひとり ちがいます。 みんなと おなじ やり方(かた)が むずかしい 子(こ)どもも います。 最近(さいきん)は、 タブレット(=ひとりで つかう 小(ちい)さな パソコン)を つかったり、 みんなと ちがう へやで ひとりで 勉強(べんきょう)したり することも ふえています。 自分(じぶん)に 合(あ)う やり方(かた)を すると 安心(あんしん)して よく 勉強(べんきょう)できます。
みんなと いっしょに 「おなじ やり方(かた)で 勉強(べんきょう)」する だけでは ありません。 「その 子(こ)どもに 合(あ)う やり方(かた)で 勉強(べんきょう)」できる 場所(ばしょ)を つくっています。 ひとりひとりの 子(こ)どもの ことを よく しって、 その 子(こ)どもが こまらない やり方(かた)で 勉強(べんきょう)できるように てつだうことは 多様性(たようせい)を たいせつにする かんがえ方(かた)です。
【はたらく 場所(ばしょ)】の 多様性(たようせい)
いまは、 たくさんの はたらく 場所(ばしょ)で 多様性(たようせい)を たいせつにしています。 はたらく人(ひと)が 何(なに)を たいせつに しているか、 どんな 生活(せいかつ)を したいか、 ひとりひとり ちがいます。 男(おとこ)か 女(おんな)か、 どの国(くに)の 人(ひと)か、 何(なん)さいか、 は 関係(かんけい)ありません。 その人(ひと)が 自分(じぶん)の 力(ちから)を うまく つかって よい 仕事(しごと)が できるように、 はたらく 場所(ばしょ)を つくることが たいせつ だからです。
- 女(おんな)の人(ひと)も 上(うえ)の 役(やく)に なるようにする
- 生活(せいかつ)の 中(なか)で こまることの ある人(ひと)や、 LGBTQ+の 人(ひと)たち〔=男(おとこ)・女(おんな)の別(べつ)や すきになる人(ひと)が ひとりひとり ちがう人(ひと)たち〕も いっしょに うまく はたらけるようにする
- 外国(がいこく)から 来(き)て はたらく人(ひと)たちと いっしょに うまく 仕事(しごと)が できるようにする
どんな ことですか? わかりやすく せつめいします。
女(おんな)の人(ひと)も 上(うえ)の 役(やく)に なる
いままでは 男(おとこ)の人(ひと)が 上(うえ)の 役(やく)に なることが おおかったです。 しかし いまは、 女(おんな)の人(ひと)も 上(うえ)の 役(やく)に なることが ふえてきました。 「子(こ)どもを そだてながら はたらく」「おとうさんや おかあさんの 世話(せわ)を しながら はたらく」ことができる やり方(かた)が できてきました。 女(おんな)の人(ひと)が だんだん むずかしい 仕事(しごと)を して 上(うえ)の 役(やく)に なるのを てつだう やり方(かた)も できてきました。
女(おんな)の人(ひと)が 上(うえ)の 役(やく)に なると、 男(おとこ)の人(ひと)と ちがう やり方(かた)で 仕事(しごと)や はたらく人(ひと)を 見(み)ます。 もっと みんなが はたらきやすい やり方(かた)に なったり、 はたらきやすい 場所(ばしょ)に なったりします。 「男(おとこ)だから」「女(おんな)だから」は 関係(かんけい)ありません。 ひとりひとりが 自分(じぶん)の 力(ちから)を うまく つかえる場所(ばしょ)を つくることは 多様性(たようせい)を たいせつにする やり方(かた)です。
いろいろな 人(ひと)たちが いっしょに うまく はたらく
生活(せいかつ)の 中(なか)で こまることの ある人(ひと)たちや、 LGBTQ+の 人(ひと)たち〔=男(おとこ)・女(おんな)の別(べつ)や すきになる人(ひと)が ひとりひとり ちがう人(ひと)たち〕が、 みんなと いっしょに 安心(あんしん)して はたらくことが できる場所(ばしょ)も つくられています。 たとえば、 男(おとこ)・女(おんな)の 別(べつ)に 関係(かんけい)なく つかうことのできる トイレを つくっています。 会社(かいしゃ)の 中(なか)で 安心(あんしん)して みんなが いっしょに はたらく やり方(かた)を 勉強(べんきょう)しています。 こまったことを 相談(そうだん)できる 場所(ばしょ)を つくっています。
また、『この人(ひと)は みんなと ちがう』『この人(ひと)は みんなと おなじように できない』という理由(りゆう)で 「はたらけない」とか 「会社(かいしゃ)を やめなさいと 言(い)われる」ことが ないようにします。 だれでも 自分(じぶん)の 力(ちから)を うまく つかって はたらける 場所(ばしょ)は、 その会社(かいしゃ)の ぜんぶが みんなの 安心(あんしん)できる 場所(ばしょ)になります。 たくさんの 人(ひと)が 「あの 会社(かいしゃ)は とても よい 会社(かいしゃ)だ。」と 言(い)ってくれる 会社(かいしゃ)に なります。
外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)たちと うまく はたらく
日本(にほん)の 会社(かいしゃ)では、外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)たちと いっしょに はたらくことが ふえています。 かれらは ことばや 文化(ぶんか)や 仕事(しごと)についての かんがえ方(かた)が ちがいますが、 日本人(にほんじん)も 外国人(がいこくじん)も よく わかりあって 力(ちから)を あわせて はたらくことが たいせつです。
いまは、 仕事(しごと)の やり方(かた)を その国(くに)の ことばで 書(か)いて しらせたり、 「やさしい日本語(にほんご)」を つかって しらせたり することも あります。 ちがう 国(くに)の ちがう 文化(ぶんか)の 人(ひと)たちと いっしょに はたらくと、 あたらしい かんがえ方(かた)を しることができる かもしれません。 いままでと ちがう かんがえ方(かた)が できるかもしれません。 外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)たちと いっしょに はたらくことは、 わたしたちの ちかい ところにある 多文化共生(たぶんか きょうせい)です。
【毎日(まいにち)の 生活(せいかつ)】の 多様性(たようせい)

多様性(たようせい)は、 わたしたちの 生活(せいかつ)の 中(なか)でも ふつうに ふえています。 買(か)い物(もの)をする 店(みせ)や 食(た)べること、 着(き)る服(ふく)などを 見(み)てください。 いろいろな やり方(かた)や 文化(ぶんか)を たいせつに することが ふえています。 いままで 「すくない 特別(とくべつ)な 人(ひと)たち だけの もの」だったことを たくさんの 人(ひと)が 見(み)るように なってきました。 「それが いいです」「それが ほしいです」という人(ひと)も います。 ひとりひとりが 自分(じぶん)の すきなものを たいせつにできる 社会(しゃかい)に なってきています。
- 店(みせ)や レストランで はたらく 外国人(がいこくじん)が ふえる
- ひとりひとりに 必要(ひつよう)な 食(た)べ物(もの)が 用意(ようい)される
- 男(おとこ)・女(おんな)に 関係(かんけい)なく 自分(じぶん)が すきな 服(ふく)を 着(き)る
毎日(まいにち)の 生活(せいかつ)に どんな 多様性(たようせい)が あるか 見(み)ていきましょう。
店(みせ)や レストランで はたらく 外国人(がいこくじん)が ふえる
外国(がいこく)から 来(き)て 店(みせ)や レストランで はたらく人(ひと)が ふえています。 日本語(にほんご)の ほかに いろいろな 国(くに)の ことばで 買(か)い物(もの)が できる 店(みせ)も あります。 それは 生活(せいかつ)に べんりです。
外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)たちは 日本(にほん)と ちがう 文化(ぶんか)を もっています。 たいせつに することも ちがいます。 だから かれらと いっしょに はたらいて いろいろな ことを 話(はな)すと、 あたらしいことが たくさん わかります。 いろいろな 国(くに)の人(ひと)が いっしょに はたらく 場所(ばしょ)は 多様性(たようせい)が 進(すす)みます。
ひとりひとりに 必要(ひつよう)な 食(た)べ物(もの)が 用意(ようい)される
このごろ、 いろいろな 食(た)べ物(もの)や 食(た)べることの 文化(ぶんか)をたいせつに するように なりました。 ひとりひとりに 必要(ひつよう)な しょくじを 用意(ようい)することも ふえました。
たとえば、 動物(どうぶつ)の にくや たまごを つかわない 料理(りょうり)を 用意(ようい)しています。 神様(かみさま)が 「食(た)べては いけません」と 教(おし)えている ものを つかわない 食(た)べ物(もの)を 売(う)っています。 また、 その人(ひと)の からだに わるくないものを つかった 料理(りょうり)を えらぶことも できます。 「みんなが おなじものを 食(た)べる」ことから 「ひとりひとりの からだや 文化(ぶんか)や たいせつな 神様(かみさま)の 教(おし)えに あったものを 食(た)べる」 やり方(かた)に かわってきました。
男(おとこ)・女(おんな)に 関係(かんけい)なく 自分(じぶん)が すきな 服(ふく)を 着(き)る
このごろ、 男(おとこ)・女(おんな)に 関係(かんけい)なく 自分(じぶん)に あう すきな 服(ふく)を 楽(たの)しむ 人(ひと)が ふえています。 たとえば 「男(おとこ)の 服(ふく)」「女(おんな) の服(ふく)」と きめない 服(ふく)や、 男(おとこ)の人(ひと)も 「かおを うつくしくする」ことが だんだん ふつうに なってきました。 「男(おとこ)だから」「女(おんな)だから」と きめないで 自分(じぶん)が きもちのよい すきな ものを えらぶことが ふつうに なっています。 これは 多様性(たようせい)の かんがえ方(かた)です。 「ひとりひとりが その人(ひと)の すきな ものを えらぶのは よい ことだ。」と みんなが かんがえています。
男(おとこ)・女(おんな)に 関係(かんけい)なく 自分(じぶん)の すきな ものをえらんで 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)できる 社会(しゃかい)は、 多様性(たようせい)を たいせつにする 社会(しゃかい)です。
多様性(たようせい)で 社会(しゃかい)は どう かわりますか?
多様性(たようせい)は 「特別(とくべつ)の きまった人(ひと)に たいせつなこと」では ありません。 だれでも 生活(せいかつ)しやすい 社会(しゃかい)を つくるために たいせつな かんがえ方(かた)です。 多様性(たようせい)で 社会(しゃかい)は どう かわるか 説明(せつめい)します。
- あたらしい かんがえ方(かた)や やり方(かた)が 生(う)まれやすくなる
ちがう けいけんを した人(ひと)や ちがう かんがえ方(かた)を する人(ひと)が 集(あつ)まると、 ひとつのことを いろいろな やり方(かた)で 見(み)ることができます。 ちがう かんがえも でてきます。 会社(かいしゃ)で、 あたらしく よいものを つくることが できるかもしれません。 自分(じぶん)が 住(す)んでいる ところで、 いろいろな人(ひと)が いっしょに たのしむ あたらしい 場所(ばしょ)が つくれるかもしれません。 ひとりひとり ちがうから あたらしい かんがえ方(かた)や やり方(かた)が 生(う)まれやすくなります。
- みんなが 生活(せいかつ)しやすくなる
「だれでも うごきやすい 場所(ばしょ)」「いろいろな 国(くに)の ことばで しらせる やり方(かた)」「はたらく 時間(じかん)や 場所(ばしょ)を 自分(じぶん)が きめる はたらき方(かた)」などの やり方(かた)は、 みんなに べんりです。 たとえば、 エレベーターは 階段(かいだん)が つかえない おじいさんや おばあさんの 役(やく)に立(た)ちますが、 子(こ)どもと いっしょの 人(ひと)や 大(おお)きな にもつを もった人(ひと)の 役(やく)にも 立(た)ちます。 多様性(たようせい)を たいせつに すると、 みんなが 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)できる 社会(しゃかい)に なっていきます。
- 自分(じぶん)と ちがう人(ひと)の ことが わかりやすくなる
いろいろな 人(ひと)の、 自分(じぶん)と ちがう 文化(ぶんか)や かんがえ方(かた)を たくさん しると、 「ちがうことは ふつうのこと」と 思(おも)います。 「あなたは どんな やり方(かた)を しますか?」「あなたの かんがえを しりたいです。」と 思(おも)うことが できます。 すると 「あの人(ひと)は 自分(じぶん)と ちがって へんだ。」「あの人(ひと)は 自分(じぶん)と ちがうから いやだ。」と 思(おも)うことが すくなくなります。 ちがっていても いっしょに 話(はな)したり たのしんだりできます。 多様性(たようせい)を たいせつにすると 自分(じぶん)と ちがう人(ひと)も たいせつに できます。 みんなが 自分(じぶん)と ちがう人(ひと)を たいせつに 思(おも)って 生活(せいかつ)できる 社会(しゃかい)を つくることが できます。
多様性(たようせい)の ために わたしたちは なにをしますか?

多様性(たようせい)を たいせつにする 社会(しゃかい)は どうしたら つくれますか? 特別(とくべつ)な 勉強(べんきょう)しますか? がんばって 何(なに)かを やりますか? いいえ、 それは なくても いいです。 いちばん はじめは、 毎日(まいにち)の 生活(せいかつ)で 「自分(じぶん)と ちがう人(ひと)も たいせつにする きもち」を もつことです。
ここでは、「自分(じぶん)と ちがう人(ひと)を たいせつにする」ために わたしたちが できることを 紹介(しょうかい)します。
- 「自分(じぶん)と ちがう」ことを だめだと 思(おも)わない
ひとりひとり たいせつに 思(おも)うことや かんがえ方(かた)、 文化(ぶんか)が ちがっているのは ふつうの ことです。 自分(じぶん)の ふつうと ほかの人(ひと)の ふつうは ちがいます。 「ちがうから だめ!」「ちがうから いや!」と すぐに 思(おも)わないでください。 「自分(じぶん)と ちがうことが ある」と 思(おも)うことが 必要(ひつよう)です。 それが 多様性(たようせい)について わかる いちばん はじめです。
- 「なぜ ちがいますか?」と かんがえる
「どんな 生活(せいかつ)を しているか」「どんな けいけんを したか」「どんな 文化(ぶんか)を もっているか」は ひとりひとり ちがいます。 だから 言(い)い方(かた)や やり方(かた)も ちがうかもしれません。 「この人(ひと)は なぜ 自分(じぶん)と ちがうことを しますか?」 たとえば、 しょくじの やり方(かた)や たいせつに している 神様(かみさま)、 どのように はたらくかの かんがえが ちがうから かもしれません。 「ちがうことを するから へんです。」と すぐに 思(おも)わないでください。 「なぜ ちがいますか?」と かんがえてみましょう。 ちがっていても よい 関係(かんけい)を つくることができます。
- 小(ちい)さなことを やってみる
「『やさしい日本語(にほんご)』を つかう」「こまっている人(ひと)に 『てつだいましょうか?』と 言(い)う」「すきな やり方(かた)が できるように いろいろな やり方(かた)を 用意(ようい)する」など、 小(ちい)さなことが できます。 それが 多様性(たようせい)の 役(やく)に立(た)ちます。 ひとりひとりが 「多様性(たようせい)の ために 小(ちい)さなことを してみよう」と 思(おも)うことが たいせつです。 だれでも 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)できる 社会(しゃかい)に なっていくからです。 毎日(まいにち)の 小(ちい)さな きもちが 多様性(たようせい)を 大(おお)きくします。
「多文化共生(たぶんか きょうせい)」も 多様性(たようせい)の ひとつ
「多文化共生(たぶんか きょうせい)」は とても たいせつな 多様性(たようせい)のかんがえ方(かた)の ひとつです。
多文化共生(たぶんか きょうせい)は、 「生(う)まれて 大(おお)きくなった 国(くに)の ちがう 人(ひと)たちが、 おなじように たいせつにされて おなじ 場所(ばしょ)で 生活(せいかつ)したり はたらいたり できること」です。
このごろ、 日本(にほん)の いろいろな 場所(ばしょ)で 外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)たちが 生活(せいかつ)することが ふえました。 そして 自分(じぶん)の 生活(せいかつ)する 場所(ばしょ)で、 いろいろな 国(くに)の 文化(ぶんか)が いっしょになることも ふえました。 「文化(ぶんか)や 習慣(しゅうかん)が ちがうから いっしょに 生活(せいかつ)できません」と 思(おも)わないでください。 「あたらしい 文化(ぶんか)や 習慣(しゅうかん)を しりましょう。 いっしょに たのしみましょう。」と かんがえたいです。 それが 多様性(たようせい)を 大切(たいせつ)にする 社会(しゃかい)を つくります。
多文化共生(たぶんか きょうせい)の いろいろな やり方(かた)は ここで 紹介(しょうかい)しています。
多文化共生(たぶんかきょうせい)の取(と)り組(く)みを10の事例(じれい)で紹介(しょうかい)
京丹波町国際交流協会(きょうたんばちょう こくさいこうりゅう きょうかい)は 京丹波町(きょうたんばちょう)の 多文化共生(たぶんか きょうせい)を てつだっています

京丹波町(きょうたんばちょう)では、 住(す)んでいる 全部(ぜんぶ)の 人(ひと)の 2.5%くらいが 外国人(がいこくじん)です。 ベトナムから 来(き)た 人(ひと)たちが いちばん おおいです。 つぎに おおいのは インドネシアから 来(き)た 人(ひと)たちです。 3ばんめは 韓国(かんこく)から 来(き)た 人(ひと)たちです。
京丹波町(きょうたんばちょう)では、 外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)たちと 日本人(にほんじん)が いっしょに 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)できる 場所(ばしょ)に なるように、 多文化共生(たぶんか きょうせい)を 進(すす)めています。
京丹波町国際交流協会(きょうたんばちょう こくさいこうりゅう きょうかい)は、 日本語教室(にほんご きょうしつ)で 日本語(にほんご)の 勉強(べんきょう)を てつだったり、 いっしょに たのしむ 会を したり、 災害(さいがい)の ための 勉強(べんきょう)を したり しています。 そして、 みんなが 自分(じぶん)の 住(す)むところで だれでも いっしょに 話(はな)したり てつだったり して 毎日(まいにち) 生活(せいかつ)できるように しています。 これは 外国(がいこく)から 来(き)た人(ひと)たちを てつだうだけでは ありません。 そこに 住(す)んでいる 全部(ぜんぶ)の人(ひと)が いっしょに 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)できる たいせつな やり方(かた)に なっています。
どんなことを しているのかは 公式(こうしき)サイトを 見てください。
京丹波町国際交流協会(きょうたんばちょうこくさいこうりゅうきょうかい)公式(こうしき)サイト
まとめ
「何さいか?」「女(おんな)か、 男(おとこ)か?」「どこの 国(くに)の 人(ひと)か?」「どんなことを たいせつに しているか?」「どんなふうに しごとを するか?」などは みんな ちがいます。 「ちがっていて いいです。」「ちがっていることを たいせつに します。」と かんがえるのが 多様性(たようせい)です。 住(す)んでいる 場所(ばしょ)や 学校(がっこう)、はたらく 場所(ばしょ)、 毎日(まいにち)の 生活(せいかつ)に 多様性(たようせい)の やり方(かた)は たくさん あります。 「ちがうのは ふつうのこと」「ちがっていて いいです」と かんがえると、 あたらしい かんがえ方(かた)や やり(かた)方が 生(う)まれます。 だれでも 生活(せいかつ)しやすい 社会(しゃかい)に なっていきます。 多様性(たようせい)は 社会(しゃかい)を よくしていきます。
多文化共生(たぶんか きょうせい)も、 多様性(たようせい)を たいせつにする かんがえ方(かた)の ひとつです。 はじめに 「ちがうこと」を しりましょう。 自分(じぶん)の 住(す)んでいる 場所(ばしょ)が だれでも 安心(あんしん)して 生活(せいかつ)できる ところに なっていくでしょう。
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